INTERVIEW

ココ・カピタン
写真、絵画、散文、インスタレーションとあらゆる手法を用いて、新たな表現活動を開拓するスペイン出身のアーティスト、ココ・カピタン。会話や日記、自分を内省したときの感情からインスピレーションを得ているという彼女の作品はファッションとファインアートの領域を軽やかに横断する。「人に近づくのに時間がかかる方ではあるけれど、一度親しくなったら生涯の友人になれるようなタイプ」と自身を表現する、一見シャイでありながらもオープンなまなざしは、見る者とのパーソナルなつながりをもたらしてくれる。昨年春、渋谷PARCO「PARCO MUSEUM TOKYO」での個展「NAÏVY: in fifty (definitive) photographs」に続き、京都を舞台に開催された本年度「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」での展示を終えたばかりの彼女に、子ども時代の体験、才能を育んだ環境、そして、創作のプロセスとの向き合い方を聞いた。
自分の表現が見つかる以前の記憶。
子どもの頃から、創作することに惹かれてはいました。最初のうちは、アートが何なのかよく分からなかったのですが、よく美術館には連れて行ってもらって。台座に置かれた貴重なものや、壁に飾られた絵を見ていると、なんだか壮大な気分になったことを覚えています。学校の休み時間は図書館で過ごしていましたし、ほとんどの時間、本か物語を読んでいました。

そうした初期の創作体験やイメージに対する興味は、私をちょっと変わった趣味へと向かわせました。当時は、雑誌や古本、新聞やスーパーのチラシから写真を切り抜くのが好きで、切り抜いた写真を集めては、バインダーのフォルダにテーマごとに整理していました。「昔の交通手段:海上編」から「神話上の動物」みたいに、あらゆるテーマで。今振り返ると、自分自身の写真のライブラリを作ろうとした最初の試みでしたし、インターネットにアクセスする以前の、Googleイメージの初期バージョンでもあったと思いますが、自分でも画像を作ることができるんだと気づいたのは、もっと後のことです。
才能を見つけ、その資質を伸ばすことを助けてくれた環境。
幼少期から青年期にかけて、さまざまなことにチャレンジする機会がたくさんありました。「何者かになりなさい」とプレッシャーをかけられたことはなく、母からいつも聞かされていたのは、粘り強くあること、そして努力の大切さでした。いい機会が訪れたときは、それを楽しみ、学ぶという姿勢をもって、私が自由な環境で成長することは、彼女にとってすごく重要なことだったんです。
15歳か16歳くらいのとき、マヨルカ島に住んでいたのですが、夏だったので、週に2回ほど、カタルーニャ語のレッスンを受けていました。その頃、年上の写真家たちと出会い、すぐに友達になったんです。彼らの家の一角にはフォトラボがあって、「一緒にプリントしよう」と誘ってくれて。でも、彼らが暗室に入る時間が、カタルーニャ語のレッスンの時間と重なっていたんですね。それで、母にお願いして、レッスンの時間を変更してもらったことを覚えています。

プリントし、展示し、本にするというプロセスを実践していく。
私は、一つの分野で完璧を追求することより、さまざまな技法でバランスを取ることの方に興味があって。なので、すべてのプロセスにおいて実践し続ける必要性を感じていますし、新しいことをするのに飽きることはありません。また、プリントし、本を作る作業は、自分の写真について考えたり、手を加えたり、一人の時間を過ごす瞬間があるという意味でも楽しいですね。一般的に楽しくない作業はというと、管理業務とプログラミング。一番好きなのは、暗室で作業しながら、プロセッサーから出てくる写真を見ているときと、内省ノートをつけているとき。

昨年、80年代から日本の主要な美術出版社のひとつであるPARCO出版から、過去10年で撮り続けた「NAÏVY」シリーズの作品集を出せたことは、とてもエキサイティングな体験でした。PARCO出版の書籍はたくさん持っていますし、好きなアーティストの中にも美しい出版物を出している人が数人いますし、高く評価しています。
「NAÏVY」から「Ookini」へ、制服を撮るということ。

昔から制服にとても惹かれるんです。制服というのは、あるコミュニティーの中での平等性を表しています。その中で、制服を着なければならない人たちが、袖口のまくり方、小さなピンをつけたり、ネクタイの結び方など、ほんの小さなディテールで個性を表現しているところが好きです。昨年秋、KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭のレジデンスプログラムで、京都に滞在した際に手に入れた大切なものは、男子中学生の制服のジャケット。自分の体に合うようにカスタマイズしてもらって、私のワードローブの中でもお気に入りの一着になりました。
「Ookini」もそうでしたが、どのプロジェクトも、私にとっては観察の時間なんです。私の目の前で流れている“映画”をあまり編集することなく見られるよう、自分の存在ができるだけ邪魔にならないようにしたいと思っています。
スナップ写真を超越する、絵画表現を探して。
絵画には、情熱を持ってます、密かに。画家としての私は、写真家としての自分に比べてスキルが足りないですし、私にとって絵画は、試行錯誤と計画が必要というか。すごくスローなプロセスなんです。一方で、写真はもっと自発的なものです。少なくともパーソナルな作品において、撮影する瞬間を計画することはありません。すでに存在しているものや、レンズの前で起こっていることをとらえるのが好きなので。

絵画はその逆で、私が手がけた絵画作品のほとんどは、実際、発表される前に破壊されたり、完全に変容したりしているんですよね。写真は瞬間を凍結させることができるという意味で、魔法的ですが、私は絵画を通し、スナップ写真には必ずしも存在しない、別のレベルの超越や意味を見出そうとしているんだと思います。絵を描くことは孤独な作業で、世界に対する自分の認識を振り返る行為でもあります。なぜそれを描きたいのか、自問自答する瞬間が多いんですよね。次の動きとしては、新しい絵画のシリーズに取り組んでみたいなと。そして、永遠に、ノートに書き、書き、書き続けることを考えています。
現在は、ロンドンを拠点にしていますが、頻繁に世界を旅していると、自分の置かれた状況が周りと同じではないことをしょっちゅう思い知らされます。自分とは異なる世界と常に向き合うことができるので、旅も私にとって欠かせない要素ですね。

ココ・カピタン
1992年、スペイン・セビリア生まれ。ロンドンをベースに制作活動を行う。2016年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで写真分野の修士課程を優等で修了。彼女のアート活動はファインアートとコマーシャルアートの世界にまたがっており、その作品には、写真、絵画、インスタレーション、散文などが含まれる。
最近の個展に、「NAÏVY: in fifty (definitive) photographs」 (マクシミリアン・ウィリアム・ギャラリー/ロンドン/2023年)、「Who Art Thou」(イヴォン・ランベール/パリ/2023年)、「Ookini」(KYOTOGRAPHIE/京都/2023年)、「NAÏVY: in fifty (definitive) photographs」(PARCO MUSEUM TOKYO/東京/2022年)、「Naïvy」(マクシミリアン・ウィリアム・ギャラリー/ロンドン/2021年)、「Busy Living: Everything with Everyone, Everywhere, All of the Time」(ヨーロッパ写真美術館/パリ/2020年)、「Is It Tomorrow Yet?」(大林美術館/ソウル/2019年)。作品は、ヨーロッパ写真美術館(パリ)及びハイス・マルセイユ写真美術館(アムステルダム)のコレクションに収蔵されている。
写真集に『Naïvy』『If You’ve Seen It All Close Your Eyes』『NAÏVY: in fifty (definitive) photographs』『Middle Point Between my House and China』がある。クライアントはグッチ、APC、COS、ベネトン、ナイキ、サムスン、ディオールなど。 『New York Times Magazine』 『British Journal of Photography』『Dazed』『M Le Monde』『Document Journal』『Vogue』などの雑誌に作品が掲載されている。また、ケンブリッジ大学、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、オックスフォード大学、 マンチェスター芸術学校、ロンドン・サウス・バンク大学、アールト大学などのゲストスピーカーとしても活動をしている。
公式HP: cococcapitan.co.uk
Instagram: @cococapitan
Photo: Coco Capitán
Text & Translation: Tomoko Ogawa