INTERVIEW

奥冨 直人さん
"FASHION & MUSIC"をコンセプトに、ファッションと音楽をつなぎ、古着、CD、雑貨、氏の感性に響くあらゆるアイテムに、新しい価値観を提供するセレクトショップ「BOY」のオーナー、奥冨直人さん。TOMMY(トミー)の愛称でも親しまれ、ショップ運営の傍ら、DJ、執筆活動、イベント制作など幅広く手がける。時代の空気感をとらえる手腕に若手アーティストやクリエイターからの支持も熱く、渋谷PARCOで2011〜2018年に開催されたカルチャーイベント「シブカル祭。」でも、たくさんのコミュニケーションを生み出した。パルコと深い関わりを持ちながら、渋谷を拠点に神出鬼没、縦横無尽に活躍の場を広げる彼に、いままでとこれからのBOY、パルコ、そして渋谷について聞いた。
BOY誕生、パルコとの出会い
「BOY」は、2009年に円山町でスタートしました。その頃にはもう、パルコさんとの交流が生まれていましたね。パルコの小林さんという方がお店に来てくれて、いろいろなアーティストをお店に連れてきてくださいました。以降も交流は続いて、2012年に渋谷クラブクアトロで行われた「パルコ サマースクール 2012」という2daysの音楽イベントに、出店&DJ としてお声かけくださって、それがパルコのイベント初出演でした。シブカル(「シブカル祭。」)の初出演も同年秋、クアトロで3時間半くらいDJをした記憶があります。なんだかんだ、シブカルには通算6回くらい参加していますね。木村カエラさんや水曜日のカンパネラが出演した、2015年のシブカルは特に印象深くて、記憶が鮮明です。フロアにいる大勢のお客さんが、僕の選曲に反応してくれて、気持ちよくプレイできたことをよく覚えています。
「BOY」の精神とも繋がるんですが、自分自身、なにかをミックスしている瞬間に、一番の快感を覚えます。シブカルも、そのミックスカルチャーなイベントの精神に共鳴したんだと思います、そもそも相性がよかったんでしょうね。間違えてもいいから楽しい方向にい続けたい、という考え方含め。

もうアパレルだけを扱っている店という感覚はまったくなくて、古着屋とは別で呼び名があってもいいと思うときもあります。店内にはCDや雑貨も置いていれば、私物の骨董品も紛れ込んでる。服自体もジャンルレスで、気に入ったものであれば、なんでも置いています。それは、わかりやすい提示に自分が飽きていることの表れなんだと思います。だからこそ、いろいろな好きなものをミックスしたかった。もともとずっと好きな“ファッション”と“音楽”は、僕が思うそれらの“繋がり”と、メディアが公言する“繋がり”では別角度な気がしていて。"FASHION & MUSIC"というコンセプトを付けたのも、そういう違和感に対する想いがあったからで、「BOY」が2014年2月に宇田川町に移転したタイミングで名付けました。移転を機に独立したため、その頃から裁量が増えて、自由にやりたいことを、新しい試みを始めました。初日からCDを10タイトル以上置いてみたり、リオープンと同時に音楽イベントを催してjan and naomiやAwesome City Clubに出てもらったり。CDを置いたらお客さんのリアクションもものすごくよかったんですよね。円山町時代と今の宇田川町の「BOY」には、明確に違いはないと思っています。ただ、5年も経てば着る服も変わるように、自分の中で成長と洗練を繰り返した結果としてある形が、今の「BOY」なのかなと。前身の「BOY」の遺伝子を引き継ぎつつ、さらなる自由さを掴むことができた、っていうイメージです。
今の「BOY」に与えた、自分の変化といえば「モノに対する感覚」ですね。円山町時代は、やっぱり会社として売上を意識しなければならないところがあって、それが商品選びに反映されていたのですが、今は、ある程度そこを度外視しています。自分が好きなものに誠実に接して、それを手にとってもらって、個人の生活や社会にいい影響を与えられればいいな、と思っています。「持ち主から一度手が離れる」セカンドハンドのアイテムは、「存在価値が一度リセットされる」という意味で、とても面白いんです。そこに再度新しい存在価値を見出すことこそ、僕の仕事だと思っています。「服を売る場所」ではなく「価値観を新しく見出す場所」、それが「BOY」。それは、ライブハウスやクラブに遊びに行って、いろいろな価値観、可能性が渦巻く姿を見て、楽しいなにかを見出す感覚と、リンクしている気がします。

夜遊び、15歳のお客さん、毎日の中に見つけた“SPECIAL”
僕にとっての“SPECIAL”は、毎日の中にあります。その毎日を構成する一つの要素が、夜遊び。ファッションだったり、音楽だったりと、いろんなものをミックスさせてきた自分の活動のなかで、夜遊びが持つ影響はとても大きいですね。円山町時代は、「BOY」が12:00OPEN-22:00CLOSEだったので、閉店後にクラブに行って、DJして、新しい仲間と出会って、という感じで今にも繋がる日々を過ごしていました。いろんなイベントで遊んだり出演したりしていましたが、ART-SCHOOLの木下理樹さんのイベントに呼ばれるようになってから、もっとDJをがんばろうと思うようになりました。木下さんの影響は今でも大きいです。そして、毎日過ごす、渋谷。2009年頃の渋谷は、僕にとってまだまだ未開の地でした。ただでさえ不慣れな土地なのに、外灯が少なくてなんだかつねに薄暗かったし、当時の僕には街中に不穏な空気が充満しているように見えていました。怖かったので、特定のエリアでしか遊ばなかったし、歩けなかった。だけど、未開である分、試しがいはありましたね。渋谷という街への関心も、日々会う友人達の存在が大きいです。2010年頃には、レイジくん(オカモトレイジ、OKAMOTO’S/ドラムス)と出会って。独立してからはコムアイちゃん(水曜日のカンパネラ/ボーカル)だったり、近い世代で柔軟に活動している友人もできて。そうしてちょうど僕と同じ世代がシーンを盛り上げていた頃、サブスクがまだ日本に降りていなかったからフィジカルタイトルもたくさん動きがありました。D.A.N.のファーストは特に印象的で。そうした時代時代の一体感はなにものにも代えがたいです。近年ではマヒトくん(GEZAN/ボーカル)との出会いも大きいです。年齢を重ねるにつれて、年下との交流も増えてきました。デビューする頃、もしくはそれ以前に出会ったアーティストたちが、再会するたびに成長していく姿を、いくども目撃してきました。彼女、彼ら全員が、僕の人生を変化させ続け、今ここに導いてくれている気がしています。


©leung pakting
2019年に、「BOY」は10周年を迎えました。10周年イベント(オールナイトイベント「BOY 10TH ANNIVERSARY / KID.vol.10」@東京・LIQUIDROOM)を開催できたことが、とっても大きかったですね。出演者のほとんどが、「BOY」に来てくれたことがあるアーティストというのも重要でしたし、古くから知っている人も多くて。「BOY」の毎日の積みかさねの、集大成のようなイベントでした。そして2020年、リニューアルした渋谷PARCOで開催したイベント「YAGIBOY」(オカモトレイジ主宰「YAGI EXHIBITION」と「BOY」の合同エキシビション)は、パルコがある都市を中心に全国ツアーも自主的に開催しました。YAGIBOYがあってからは、そこに集まるお客さんとの距離感も変わった気がします。初回のライブではMall Boyz、GEZAN、ハリウッドザコシショウが出演、集まった観客の中には、高校生くらいの若い子も多かった。YAGIBOYは、クールなイベントというよりも、間口が広いイベントなので、お客さんたちが日々ため込むなにかを解放できるような場所にしたかったんです。
「BOY」の客層は、学生や、20代の子から50代まで本当にさまざまなんですが、最近出会った印象深い子がいます。僕の友人の紹介で来てくれたという、見るからに思春期を謳歌していそうな、15歳の男の子(笑)。服の話をしたり、恋バナを聞いたり、他にも青春の拗らせワードが飛び交い2時間くらいしゃべり込んで、僕にとってはめちゃめちゃフレッシュな時間でしたね。その子は、オンラインでのコミュニケーションがネイティブな世代で、僕らが生身のコミュニケーションでしか感受し得ないものを、オンラインで感受できているようで、それがちょっと不思議な感覚でした。僕は、アナログとテックの過渡期に青春を過ごした世代なので、まだまだオフラインの可能性を信じているけど、15歳の子が感じるオンラインの感じ方も、ありのまま信じていいと思うし、僕自身もそれに関心がある。そして、彼、彼女らとオフラインとをつなげる人で、あり続けたいです。こんな風に、一見変わらないように見える、毎日の出会いや交流、言葉の中に、必ず“SPECIAL”なことがあって、誰かが気付けなかったそれを、これからも見つけていきたいです。

2021年の、渋谷、これからのBOY
渋谷は、去年一度からっぽになった、という感覚があります。かつてHMVだった場所が、Forever21に、そして2020年にIKEAに生まれ変わって。渋谷にくる理由が、「娯楽」から「生活」に変わってきているのかなと。それはコロナの影響も少なからずあったかもしれないです。「生活をうるおす」ために渋谷にきている、その意味自体が変わってきているのか。だけど、そうなればそうなるで、新しい層のお客さんが渋谷にきてくれる、触れあえるきっかけが増える、というふうにポジティブにとらえています。IKEAに行くお客さんは、家具を買うなど、特定の理由があると思うんですが、「BOY」は理由がなくとも来たくなる場所、店主に会いに行きたくなるような場所を目指したいです。商品のグレードを下げたいだとか、わかりやすく着やすいものだけ置きたいってことじゃなくて、入り口を広げてその後のそれぞれのきっかけに繋げたい。自戒も込めてですが、音楽詳しくないと行けないお店、着飾らないと行けないハードルの高いお店だと思っているお客さんもいると人づてに聞くんだけど、そういったお客さんを無視したくない。だからこれからはもう少し柔らかいスタンスを取って、来やすい環境をどうにか作りたいなと思っています。ただでさえ外出自粛を問われ大変な時代ですが、自身の課題ですね。師匠的な人はいなくて、しいて言えば地元の埼玉で飲み屋をやっている親父です。店とか庭とかつねに家の敷地内を改造していて、実家帰るたびに何かしら変わってますね。自分のテリトリー内で遊ぶ達人です。スペシャルな親父ということにようやく気がつきました。
最近、ようやくDJ の活動も再開できつつある状況になってきました。僕のDJ活動の通算プレイ回数が1000本間近なので、「1000本記念1000分DJ」を渋谷でやりたいですね。今年で32歳。これからも、ファッションを通しても、DJや他の活動を通しても、時代を見つめながら表現するという気概を大切にしたい。友人たちやお客さんたちの色とも交わいながら、渋谷という街のキャンパスにいろんな色を添えて遊んでいきたいです。渋谷は一時からっぽになった、だからこそ、もう一度立て直すチャンスなのかなって。2021年は、自分にとっても、「BOY」にとっても、街にとっても良い変化のある日々にしていきたいですね。

奥冨 直人/ Naoto Okutomi
おくとみ・なおと。平成元年・埼玉県生まれ。ファッションと音楽のコンセプトショップ「BOY」を2009年、渋谷円山町にオープン。2014年、現在の宇田川町店舗に移転・独立。現在、スペースシャワーTVにて配信番組「スペトミ!」のVJを担当。DJやスタイリングなど日々の活動は多岐にわたり、どんな時代も格闘しながら楽しく暮らしている。
Instagram @ tommy_okutomi
Twitter @ TOMMY_okutomi
Photo_Yoko Kusano