INTERVIEW

嵐田 光
2021

嵐田 光さん

広告のクリエイティブディレクターとは、アートディレクターやデザイナー、コピーライター、CMプランナーなど、チームを束ねて指揮する、広告制作における総監督のような立場だ。「パルコアラ」の生みの親であり、クリエイティブディレクター兼コピーライターとして、数々の広告を生み出してきた嵐田光さん。実は、本業の傍らでバンド活動を続け、36歳でメジャーデビューを果たしている。二足の草鞋をはき、その両方の活動で高い評価を得ている嵐田さんに、パルコのこと、「パルコアラ」誕生の裏側、そして才能とは何か、話を聞いた。

2010年、パルコアラ誕生

2009年から準備を始めて、2010年1月の「グランバザール」で「パルコアラ」が誕生しました。お休みの期間はありましたが、それから11年ずっと担当させてもらっています。このインタビューを受けることになって、ちょっと昔の記憶を取り戻そうと、最初から一緒にやっているアートディレクターの小杉幸一と、当時のことを振り返ってみました。もともとパルコの「グランバザール」は歴史と伝統のある広告シリーズで、毎回いろいろなクリエイターが、面白さやかっこよさを競って追求しているような、尖った表現の場だったと思います。おそらく、毎回クリエイターたちがそれぞれにやりたい表現をパルコさんにプレゼンテーションして、その都度もっとも良いものが選ばれてきた。2009年、そんな「グランバザール」の広告に、博報堂にもプレゼンのチャンスが訪れました。

2010年、パルコアラ誕生

せっかく来たチャンスだから、今回だけじゃなくてずっと担当できる方法はないかなと小杉と考えました。毎回尖った表現を考え続けるのは大変だし、ほかのクリエイターと競っていつも勝ち抜けるとは限らないじゃないですか(笑)。一回選ばれたら、ずっと継続で使ってもらえるアイデアはないかなって考えたときに、キャラクターをつくるしかないな、と。ほかのファッションビルにはいるのに、当時パルコは特定のキャラクターを持っていなかった。最初、小杉がマックで白い犬を描いていたんですが、そのときのパルコさんのオーダーは「パルコに行くと、驚きがある。洋服を買うだけではなくて、それ以上の発見があることを伝えたい」というもので。「パルコ、驚き。パルコ、驚き。……あれ?パルコ? パルコ?あら?」という感じで、じゃあ犬の耳を少し横に動かしたらコアラになるじゃん!って言って、「パルコアラ」が誕生したんです。パルコに行けば「あら?」って驚くというキャラクターですね。無事にパルコさんにもかわいいって言ってもらえて、次の年も「このコアラで」と声を掛けてもらえて、しめしめと(笑)。

100人が見たら、100人に伝わるもの

パルコの広告には、おしゃれでかっこいいものがたくさんあって、僕自身そういう表現が大好きです。ただ、いざ自分がパルコの広告を手がけるとなると、そういう尖った広告を自分もつくろうとは思わないタイプ。わかる人にだけ伝わればいいというものより、みんなが理解できるものを、楽しんでもらえるものを、ということをいつも意識しています。「パルコアラ」を歴代のクールなパルコの広告たちと並べると、全然、毛色が違うなあと感じながら、でもこれが僕らしさなのかなと思っていて。渋谷PARCOは尖ったファッションビルですが、全国にはいろんなPARCOがあって、地域に密着したPARCOにも馴染む広告になっているんじゃないかなと思います。

100人が見たら、100人に伝わるもの
2010年「PARCO グランバザール」
2020年「PARCO サマーセール」

若手の頃に、クリエイターとしての自分にキャッチコピーを付けるという課題が出されて、僕は「人を傷付けないクリエイティブ」って書いたんですよ。当時、上司には「そんなものを目指していたら強い広告はつくれない」と散々だったんですが、誰かを傷付けてまで広告をつくりたくないなと内心では考えていました。マイルドなものが良いとは思いませんが、万人に受け入れられる“優しい広告”をつくりたいなっていう気持ちは常に持っています。広告クリエイターとしての自分の名前が広まっていくことにはあまり興味がないし、クライアントの皆さんと世の中の人が喜んでくれることが一番大事かなと思ってやっていますね。

100人が見たら、100人に伝わるもの

広告の仕事と、音楽活動

学生の頃から、映画をつくってみたり、お笑いをやってみたり、バンドをやってみたりと、とにかくものづくりが好きで、いろいろなことをやっていました。なかでもバンド活動は、博報堂に就職してからもずっと続けてきました。20代は広告の仕事のほうが忙しくて、あまりバンド活動に時間を割くことができなかったんですが、30代になって少し仕事が落ち着いたときにもう一回ちゃんとバンドをやりたいなって思ったんです。ちょうど20代でメジャーデビューしたバンド仲間たちがインディーズに戻ってきていたり、タイミングよく何人かが手伝うよって言ってくれて、「ザ・チャレンジ」というバンドを結成しました。いざ始めてみたら、あれよあれよと言う間にライブの動員が増えていって、結成から約4年後の2015年にメジャーデビューできてしまって。32歳で始めたバンドが、36歳でメジャーデビューするっていう、夢がある話ですよね。

広告の仕事と、音楽活動
広告の仕事と、音楽活動

ただ、20代の頃は結構つらかったんです。広告業界の先輩には「本当は広告じゃなくて、バンドやりたいんだろ」と言われ、バンドの仲間には「趣味で音楽をやって、本気でやってる俺らとは違う」と言われ。でも僕はどっちも好きだし、どっちかを選ぶ必要あるんだっけ?とずっと思っていました。どっちに行っても周りには中途半端な奴だって認識されていたんですが、僕自身は二者択一だとは思っていなかったので、変わらずどっちも続けていきました。

才能とは、続けること

「才能とは何か」と聞かれると……、難しい質問ですね。少なくとも、自分に才能がある、自分が特別であると思ったことは一度もないです。ただ、もし何かひとつ挙げろと言われれば、“続けられること”が僕の才能なのかなと思います。もう「パルコアラ」を10年以上やらせてもらっていますが、パルコの広告に10年も携わったクリエイターって、石岡瑛子さんや井上嗣也さん、箭内道彦さんくらいなんじゃないかなって、ふと思ったんです。僕は、彼らのように特徴のあるエッジの効いたクリエイターではないのに、気づいたら続いている、続けられている。それが自分の才能なのかなと。

そして、続けるために必要なのが楽しむこと。広告の仕事もバンドの活動も、続けていればすごく忙しい時期もあったんですけど、今まで辞めたいと思ったことは一度もなくて、どちらもすごく楽しいんですよね。もし今、向いている仕事に出会えていない、環境に恵まれていないと感じている人がいたら、もっと楽しむこと、楽しめるということを大事にして自分の居場所を探せば、続けることができるんじゃないかなと思います。とりあえず続けていれば、きっと何かしらの結果が付いてくる。僕自身、派手な成功を収めたわけでも、勝ち抜いてきたというわけでもなくて、気がついたら周りに誰もいなくなっていて、結果として“生き残っていた”。ずっと続けていたら、たまたまチャンスが回ってきたとか、20年ずっとクリエイティブの仕事をやっていたら評価されていたとか。だから、焦らず自分のペースで楽しく続けていくということが大切で、そうすれば周りからの評価って、意外に勝手についてくるのかな、と思っています。

才能とは、続けること

嵐田 光/ Hikaru Arashida

あらしだ・ひかる。2001年、博報堂に入社。CM制作をはじめ、コンテンツ制作や統合コミュニケーションを担う、クリエイティブディレクター、コピーライター。最近の主な仕事に、パルコ「グランバザール」「PARCOポイント」、サントリー「特茶」、NetEase「荒野行動×乃木坂46 LIVE IN 荒野」などがある。

Photo_Sakai De Jun

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