クリエイティブディレクター 箭内道彦氏 × エンタテインメント事業部担当 井上肇 執行役 対談

パルコの原点を築いてきた渋谷PARCOの次の進化に向けて、これまで数々のパルコの広告を手がけてくださっているクリエイティブディレクター箭内道彦さんとエンタテインメント事業部担当井上執行役にパルコのブランドプロデュースについてお話しいただきました。

井上 肇(以下、):
パルコは、2011年より「原点進化」というスローガンを掲げています。パルコの原点とは何か。「インキュベーション」「街づくり」「情報発信」という大きな3つの柱が、パルコの根元に脈々と受け継がれていて、それを今の時代に合わせて進化させようというのが「原点進化」の考え方です。
箭内 道彦(以下、):
やっぱりパルコは独特ですよね。たぶんその3つをブランディングの柱に置いている企業はどこを探してもないような気がします。ややもすると、投資に見合うリターンが返ってこないかもしれない。僕から見ると、そのくらい遠い未来にボールを投げている行為に見えます。普通はもっと目に見える結果を求めがちだし、そういう姿勢とはやはり一線を画していますよね。

ひとりで「街づくり」はできない

渋谷PARCOがオープンした後、「人の流れが変わった」と言ってもらえるようになったことが、パルコにとって大きかったと思います。街路灯に「VIA PARCO=公園通り」と掲げたり、赤い電話ボックスを設置したり、そういうひとつひとつが「街づくり」でした。
公共の名称を新しくできた商業施設が変えたというのは、実はすごいことですよね。パルコを公園と日本語にすり替えてはいますが、パルコ通りということですから。
外の立場からパルコを見ると、やっぱり渋谷だったら渋谷の街をブランディングしていたんだと思います。街に影響を与えながら、街の変化をパルコが吸収していましたよね。パルコ自身のブランディングと、渋谷の街が新しく面白くなっていくということが、しっかりつながっていた。
自分たちだけでは「街づくり」はできないというのがパルコの考え方。例えば渋谷なら、PARCO劇場を続けていくうちに東急文化村ができ、またシネクイントの後を追うようにたくさんのミニシアターができた。CLUB QUATTROをはじめ、たくさんのライブハウスもあり、演劇に映画に音楽と、渋谷の街全体にカルチャーの空気が漂うようになっていきました。競合相手が増えるという側面もありますが、パルコ単独じゃなくて、ほかの人たちも一緒にやってくことで、その街の文化活動が底上げされて面白くなっていく。それを歓迎している部分があったと思います。

エンタテインメントと「情報発信」

パルコは元来「場」をつくってきた会社です。だから、エンタテインメント事業の核となるのはライブ感。その場所に行くからこそ楽しめるものをつくるというのが、パルコがつくるエンタテインメントの特徴だと思います。例えば、PARCO劇場という「場」には、コメディもシリアスも落語もあり、それを40年間続けてきたことで、やっと「PARCO劇場らしい演目だね」って言ってもらえるようになってきた。音楽にしても映画にしても、パルコとしてそういう「場」を持ち続けたいという思いがありますね。
多くの人は「場の中身」をつくることに興味がいくと思うんです。でもそうじゃなくて空っぽの器をつくり、あらゆるものを受け入れて、その中で何か新しいものが生まれる。その、器であればいいと腹を決めている姿勢が、パルコのオリジナリティなのだと思います。
「場」をつくり、そこで生まれたあらゆるものが、パルコのブランディングに貢献してくれているんだと思います。広告として発信することだけが「情報発信」ではなくて、パルコの中にあるショップやそこに置かれている商品のひとつひとつ、そしてPARCO劇場や渋谷CLUB QUATTRO、シネクイントなどを通じて提供してきたエンタテインメント、それらが重なりあって、なんとなく“パルコらしさ”につながっています。

時代ごとの「インキュベーション」

箭内氏がパルコで初めて手がけた広告 広島PARCO新館開業ポスター「MOTTO PARCO」 (1994年)
箭内氏がパルコで初めて手がけた広告 広島PARCO新館開業ポスター「MOTTO PARCO」(1994年)
柱のひとつの「インキュベーション」は、特に昔から力を入れている部分で、例えば若いファッションブランドがパルコにテナント出店して人気を集めて店が増えていったり、新人俳優や演出家がPARCO劇場を通じて大きくなっていったりと、たくさんの事例があります。パルコを舞台に、新しい人が新しいものをつくっていく。それがパルコらしさだと思っています。
僕は大学浪人時代に、初めてパルコに出会っているのですが、それがパルコの主催したアートの公募展「日本グラフィック展」でした。日比野克彦さんやタナカノリユキさんらが「日本グラフィック展」でデビューしていた時代です。入選アーティストが、広告に起用され、それが次の仕事につながり、展覧会を開く。今思えば「インキュベーション」の現場を目の当たりにしていましたね。
パルコの公募展は名前を変えながら続いていって、後々“アートの甲子園”なんて呼ばれるようになるけど、当時から地下の駐車場に何千人の若いアーティストたちが作品を持ち込んでいました。
そうそう。風呂敷だったりパネルバッグだったり、作品を持った若い人が公園通りにぞろぞろしてるんですよ。ただ、それで渋谷PARCOの売上が上がったかというと(まあ多少は上がったとは思うんですけど)、そうじゃない。公募展をきっかけにスターダムに乗った人だったり、応募した人やその列を見ていた人の記憶だったりとか、何十年経った後に有形無形の財産になっていくのが「インキュベーション」ということですよね。
10年代になって、「インキュベーション」として具体的に何をしようかと考えたとき、かつてのような公募展じゃ駄目だと思った。それで生まれたのが「シブカル祭。」だったんです。若い才能を発掘して世に紹介するという考え方は共通していますが、パルコという冠のもと、賞を与えるという形式は今の時代に相応しくないな、と。
若い人の気質が変わりましたよね。コンペに対してギラギラするのではなく、もっとフラットにつながったりコラボレーションしたりすることを求める世代。そこをきちんとパルコが見極めたということだと思います。

時代に合った広告表現

震災直後仙台PARCOで働くスタッフとともに制作したポスター「LOVE HUMAN.」( 2011年)
震災直後仙台PARCOで働くスタッフとともに制作したポスター「LOVE HUMAN.」(2011年)
箭内さんにはコーポレートキャンペーンをずっとお願いしていて、2011年、震災の年につくった「LOVE HUMAN.」のポスターも箭内さんにつくっていただきました。
震災後すぐに現地に入り、仙台 PARCOで働くみんなと館の前で撮ったこの広告は、たぶん僕にとってもパルコにとっても、ターニングポイントになった作品じゃないかなと思っています。このとき、「日本は大丈夫だ、頑張ろう」と呼びかけるような広告をつくれたことは自分にとって大きな意味を持つことだったし、一方パルコにとっても舵取りが変わる瞬間の作品になったと思います。広告だけじゃなくて、もっと上のレベルでパルコのあり方、つまり「原点進化」を掲げていくことの決意表明のような思いを感じました。
確かに、あのとき何か吹っ切れた感じはありました。かっこいい写真にかっこいい言葉でつくられていた昔のパルコの広告とはまた違う、新しいパルコの表現が生まれてきたと思った。
かつての姿とはまた違う、時代に合った尖り方をパルコが選択したということですよね。

広告と「インキュベーション」

パルコは広告の分野でも「インキュベーション」をしてきた会社だと思うんです。もちろん僕も、育ててもらったうちのひとり。昔、勝手に「パルコさん、こんなCMをつくったらどうでしょう」という映像をつくって、宣伝部長宛に手紙をそえてVHSテープを送りつけたことがあったんです。そしたらすぐに電話がかかってきて、「ものすごく感動しています」と言っていただいて......、その数年後にその方から連絡をもらい、正式に仕事を担当させてもらうことになりました。おそらく、こんなふうに、たくさんのクリエイターがパルコに育ててもらってきたんだと思います。
そんなことがあったんですか(笑)。
初めてパルコの広告を担当したときはまだ博報堂に在籍していたのですが、当時の宣伝部長さんが「うちの仕事をすると、みんな独立するから」って、断言されていた。次のステージに上がるターニングポイントになるような仕事をパルコはクリエイターに提供し続けていて、そしてそれを宣伝部長がはっきり自覚していたというのが印象的でした。
箭内さんには現在進行系で、渋谷PARCOの一時休業キャンペーン「Last Dance_」も担当いただいています。
アートディレクターの井上嗣也さんを中心に「Last Dance_」の広告をつくっていて、渋谷PARCOの区切りとなる儀式をみんなで準備しているような、ちょっと不思議な感覚を覚えました。パルコに育ててもらった人たちが集まってきて、一生懸命にご飯の用意をしたり受付をしたり花を飾ったりと、みんなで渋谷PARCOに感謝と敬意を表しながら。「どこかで恩返ししたい、見出してもらったことをパルコが誇れる生き方をしたい」。パルコに「インキュベーション」をしてもらった側は、みんなそんな気持ちをどこかに持っているはずだと思います。

箭内 道彦

箭内 道彦

クリエイティブディレクター。
1964年福島県生まれ。

博報堂を経て、2003年『風とロック』を設立。パルコ「SPECIAL IN YOU.」「LOVE HUMAN.」「Last Dance_」、タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、リクルート「ゼクシィ」ほか数々の広告を手がける。東京藝術大学美術学部デザイン科准教授、「渋谷のラジオ(FM87.6MHz)」理事長、「月刊 風とロック」発行人・編集長、福島県クリエイティブディレクター、2011年紅白歌合戦に出場した猪苗代湖ズのギタリストでもある。

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